伊勢研究の誤謬ー平安女流歌人の偉大なリアリズム

もののあはれ──それは一般的な日本人による、平安和歌に対する素朴なイメージだろう。日常から離れたときに感ずる、なんとも言えない感覚が、昔の日本人の思考作用に影響していたと信じない者はいないはずである。それほどに、平安和歌の、もののあはれのイメージの定着の強さを物語っている。

 また、特に女流歌人の話となれば「恋愛」を想起する者がほとんどだろう。たとえば、小野小町のように。しかし、女流歌人にとって恋愛だけが和歌のテーマであったのだろうか。

 これから、「古今和歌集」にも多く歌が載せられている天才歌人伊勢について考察する。片桐洋一氏はその著書で「伊勢 恋に生き歌に生き」と著わしているように、やはり女流歌人となれば恋愛の歌に注目するようである。いつ、誰が、どのような歌で恋を詠い、どのように伊勢が返歌したかというように。では、伊勢とたびたび歌を交換していると思われた紀貫之の和歌と対比させて考察していこう。

 まず、日本人の心情に最も影響を与え続けてきた桜についての歌から始める。貫之「山たかみ 見つつわがこしさくら花 風は心にまかうべらなり」。意味は、山が高いので近寄れず、遠くから見た桜の花を、風はそばに寄ってしたい放題にしているようだ、である。また、「さくら花ちりぬる風のなごりには 水なき そらに狼ぞたちける」。意味は、風に吹かれて散ってしまうその風のなごりには、水のない空に乱れとぶ花びらが波のようにみえる、である。次に、伊勢について見てみる。伊勢「垣越しに 散りくる桜を 見るよりは 根ごめに風の 吹きも越さなむ」。意味は、垣越しに桜を見るよりは、風が吹いて桜が根ごとこちら側に来ればいいのに、である。また、「桜花 春くははれる年だにも 人の心にあかれやはせぬ」。意味は、桜は春の加わる年さえも、人の心に、厭かれたりしないのかしら。いや、そのような月があっても人の心に飽き満ち足りたりはしないのよ、である。二人は桜という共通の花を使ってはいるが、全く異なる精神の上に歌を作っている。貫之は前者の歌で、あくまでも桜自身には運動の働きの作用を与えず、風の力で好き放題舞っていると詠っている。しかし、これは奇妙ではないか。舞うという動詞の主体は桜であって、風という掴みどころのないものをもっていくことに、貫之の異常なまでのこだわりを感じせざるを得ない。それに対して伊勢はどうか。伊勢の前者の歌は、桜がこちら側に来ればいいのに、と桜にダイナミックな動きを与えていることが明白であろう。まるで、貫之が作った、桜=静というカノンを壊すように。貫之の後者の歌では、桜の花びらを波のように見える、と想像している。貫之は彼のさまざまな和歌の中で想像しているが、それとは真逆に伊勢は徹底したリアリズムを確立させている。伊勢の後者の歌では桜は物との対比で想像されるものではなく、桜をめぐる現場を如実に浮き彫りにさせているものである。

 平安和歌において、貫之は一貫したカノンを確立させた。貫之は桜に運動の方向をけして与えなかった。貫之にとって、運動の方向を持つ花は桜ではなく、梅だったのである。「年をへて 花の鏡となる水は ちりかかるをや くもるといふらむ」。この和歌中の花は、桜ではなく梅である。「ちりかかる」の主体は梅であったのだ。このように、貫之は花といっても、桜には静寂を、梅には動きを与え、その法則をけして破らなかった。貫之は、平安和歌のカノンを確立させたのである。

 また、貫之は、独自の世界観を持って和歌を詠った。貫之は、和歌に想像世界を組み入れたのである。「水の面に 綾織り乱る 春の雨 山の緑を なべて染むらん」。この歌では、川の深いところではなく、水の面のことを詠っており、そこには川の動きがない。その代わり、水底を詠った歌は特徴的である。「ふたつなき 物と思ひしを 水底に 山のはならで いづる月かげ」。「ものごとに 影水底にうつわども 手とせの松ぞ まずは見えける」。「水底に 影を咲して 藤の花 千代の梅とこそ 匂ふなりけり」。このように、貫之は水底を3Dの世界の内在化のように詠った。決定的なのは、「人知れず 越ゆと思ひし
あしひきの 山下水に 影は見えつつ」。この和歌の中で、影を見ているのは貫之本人である。水には室内があり、その水の中の自分を自分が見ているのである。いわば、水の中を見ている自分で、見られている自分が過去の自分かのように。水という物質とつながることによって、想像世界をつくりあげている。これが貫之の最大の特徴であり、また、意識を飛ばして和歌をつくるということがカノンであったのだ。

 それに対して、伊勢はどうか。「春ごとに 流れる河を 花を見て 折らわぬ水に 袖や濡れなむ」。あくまでも、水に何も想起させず、袖に水が触れて濡れるだけだ、とリアリスティックな世界観に徹している。また、その辞世の歌で「手に結ぶ 水に宿れる月影の あるか無きかの 世にこそあれ」と、貫之の歌に対する回答のようなものを詠んでいる。貫之がつくりあげる想像世界は、単なる現実世界の延長にすぎない、と。伊勢の歌はダイナミックで一見中国的ではあるが、それのみではない。上手く日本文化と順応させ、貫之に対抗する実験的な和歌を数多く生み出してきた。貫之が意識と現実を分けたことに対して、伊勢はそれらを分けていない。「立ち逢はぬ 衣着し人もなき ものを何山 姫の布さすらん」。ここでいう人とは、仙人のことである。水平で奥行きをもった和歌の世界をつくりあげ、非常に超越的だといえよう。この和歌は、意識と現実をいったりきたりする貫之にはとうてい詠えないものだと考える。

 以上で見てきたように、伊勢はただの恋愛だけの女流歌人ではない。国際的な感覚を持ちながら、精緻に自己の和歌のスタイルをつくりあげていった歌人である。片桐洋一氏が著書で伊勢の恋愛歌ばかりに囚われるのは、伊勢の評価として不当だといえよう。古今和歌集を見る限り、伊勢は貫之の歌に対抗できるただ一人の女歌人であり、だからこそ、歌集にも彼女の歌がこれほど多く載ったのだろう。貫之が和歌のカノンをつくり、伊勢がそれを崩し、さらに思想を語るような歌をつくる。伊勢の実験的な試みには本当に脱帽する。男性は文化の根幹をつくり、女性がそれに改革を加えてきた歴史は、平安時代から、脈々と日本に受け継がれているのだろう。

 

 昔も、そしてこれからも