著作権法1条につきまして

(1)著作権法1条に掲げられている、①著作者等の権利の保護、②著作物等の文化的所産の公正な利用への留意、又は③上記①及び②の調整を図るためには、どのような制度設計が妥当か。
 (A)現行著作権法の評価、立法(改正)論、これまでの判例の評価について
著作権法は、著作物・実演・レコード・放送・有線放送に関する著作者の権利・隣接する権利を定める。著作権法の趣旨は、文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もって文化の発展に寄与することにある。著作権は著作財産権、(17Ⅰ、21~28)、著作者人格権(17Ⅰ、18・19Ⅰ・20Ⅰ)、著作隣接権・実演家人格権、著作者を保護することにより、権利が複数の権利の束として構成されている点が著作権法の特徴といえよう。無方式主義で権利が認められる点で、特許法等他の知的財産権より保護の対象が広がったことになり、著作者の権利がすぐに認められるようになる結果として、現代社会の動向に合った法律であるといえる。
 著作権は、もともと印刷文化から発生した権利である。著作者が持つ利益を害されないようにするということが主眼となっていた。しかし、著作権は他人利用を無断に限る利用にだけ排除するのみであり、著作者の承諾があれは使用できる。この点は商標権とは異なる規定であり、著作権法の立法化につながった。
 これまでの判例の評価として、アイデア自体は著作権法上の権利ではないと認定する凡例があるが、アイデアか思想又は感情を創作的に表現したものかの判断があいまいであるといえる。数学論文野川グループ事件控訴審では、著作者が主張するものについては著作権法上の著作物に該当しないものと解される判旨したのに対し、日本の城の基礎知識事件では、著作者が主張するものについては著作物と認めることはできないとしている。裁判では、自然科学系・社会科学系の論文等においては、その性質上、表現に一定の枠があることが多いため、アイデアそのものと判断されやすい。しかし、アイデアを表現する執筆者の思想は少なからずあらわれるものであり、よりその著作性は精密な判断が必要となろう。具体的判断は困難であるため、実質的に個別具体的に判断するべきだと考える。
 (B)他の法律による解決(現行の他の法律の活用でも、新たな法律を設けるのであっても構わない)について
 第1に、アイデアを保護するためには、特許法上の申請をすることが考えられる。
 第2に、著作物の侵害者の故意・過失の認定が容易で、侵害行為と結果との間の因果関係が認められると解される場合は、民法上の不法行為(709条)の規定を利用することが考えられる。
 (C)法律による解決を図るのではなく(あるいはそれと並行して)、契約や社会(業界)の仕組みにおける解決を図るべきと考えるのであれば、それについて具体的に述べよ。あるいは、具体的解決策は模索中である場合には、現在の社会の仕組みや契約の結び方等についての「問題提起」だけでもよい、について
 JASRACなどの保護団体を包括し、個人の著作権をも保護する著作権管理団体を創設することを提言する。JASRACでは、著作権を保護するために特定のマークを著作物につける等行っているが、すべての種類の著作物においてそれが認められるわけではない。この限定された著作権の侵害からの保護を個人レベルの著作権まで広げるために、日本独自の著作権マークを指定し、著作物に表示されることを義務づける制度が妥当だと考える。バリアフリーにも配慮し、音や点字でのマークも規定する。このマークを確認すれば、著作物だと瞬時に分かるため、侵害行為から自己の権利を守るには有用である。また、包括する団体にマークを指定する権限を認めることと、当該団体に対する告発制度を規定すればより実効性のある制度となろう。近年日本ではADRが注目されているが、日本の著作権マークを規定すれば、その制度を利用して個人の著作権の保護をしやすいことになるだろう。
 (D)その他、解決方法、問題提起等があればそれについて述べよ、について
 インターネット犯罪等、一国の法規制では対処することができない問題をどのように規制していくべくかについて、大きな問題意識を持っている。グローバル化した社会において、この問題は著作権の未来を揺るがす試金石となりうると考える。
 (2)著作権法特許法その他知的財産法(及びその周辺領域)に関連する問題について、疑問や意見等があれば、これらについて述べよ。内容は、日常生活におけるある行為が違法か適法か疑問に思っている等、どのようなことでも構わない、について
 私は中国における海賊版の問題について大きな問題意識を持っている。国際的な問題としてニュースを騒がせているが、対策はいつも後追いであり、著作者の権利が等閑視されていることに憤りを感じる。
 中国で海賊版が普及する理由として、安価であることがあげられる。特に日本のアニメは需要が高く、海賊版の普及に拍車をかける。CODAの調査によれば、2007年6月13日時点で中国(大陸)、香港、台湾を対象として現地政府取締機関と共同で計3587件の日本コンテンツ取締活動を実施したところ、「2005年1月から2007年4月までの2年4ヵ月間で、映画、アニメ、音楽、ゲームなどのDVD、VCD、CD約374万枚の海賊版を押収。逮捕者は延べ1242名。1枚当たりの市場価格を仮に1300円とすると、押収物の総額は48億6000万円に上る」という結果を出している。
 この問題について、国際知的紛争がどのようになされるのかについて深く学びたい。
 また、コンピュータウイルス対策についての法整備が注目される。ウイルスによってパソコン内の著作物が盗まれたり、破壊されたりする危険性があり、新たなウイルスは日ごとに開発されるため、対策が追い付かず、問題である。コンピュータの発達により、これまでに増して一層著作権の保護が要請される(YouTubeなどの動画サイトでは、著作権対策を破った動画が多数投稿されている実態がある)。
 我々の社会の発展とともに、新たな文化が創造され、それを享受することになるが、反対利益として、思わぬ不利益を被ることがある。その例が著作権において顕著にでている。法規制は常に侵害行為の後追いであるところ、早急な対策が必要となると考える。

伊勢研究の誤謬ー平安女流歌人の偉大なリアリズム

もののあはれ──それは一般的な日本人による、平安和歌に対する素朴なイメージだろう。日常から離れたときに感ずる、なんとも言えない感覚が、昔の日本人の思考作用に影響していたと信じない者はいないはずである。それほどに、平安和歌の、もののあはれのイメージの定着の強さを物語っている。

 また、特に女流歌人の話となれば「恋愛」を想起する者がほとんどだろう。たとえば、小野小町のように。しかし、女流歌人にとって恋愛だけが和歌のテーマであったのだろうか。

 これから、「古今和歌集」にも多く歌が載せられている天才歌人伊勢について考察する。片桐洋一氏はその著書で「伊勢 恋に生き歌に生き」と著わしているように、やはり女流歌人となれば恋愛の歌に注目するようである。いつ、誰が、どのような歌で恋を詠い、どのように伊勢が返歌したかというように。では、伊勢とたびたび歌を交換していると思われた紀貫之の和歌と対比させて考察していこう。

 まず、日本人の心情に最も影響を与え続けてきた桜についての歌から始める。貫之「山たかみ 見つつわがこしさくら花 風は心にまかうべらなり」。意味は、山が高いので近寄れず、遠くから見た桜の花を、風はそばに寄ってしたい放題にしているようだ、である。また、「さくら花ちりぬる風のなごりには 水なき そらに狼ぞたちける」。意味は、風に吹かれて散ってしまうその風のなごりには、水のない空に乱れとぶ花びらが波のようにみえる、である。次に、伊勢について見てみる。伊勢「垣越しに 散りくる桜を 見るよりは 根ごめに風の 吹きも越さなむ」。意味は、垣越しに桜を見るよりは、風が吹いて桜が根ごとこちら側に来ればいいのに、である。また、「桜花 春くははれる年だにも 人の心にあかれやはせぬ」。意味は、桜は春の加わる年さえも、人の心に、厭かれたりしないのかしら。いや、そのような月があっても人の心に飽き満ち足りたりはしないのよ、である。二人は桜という共通の花を使ってはいるが、全く異なる精神の上に歌を作っている。貫之は前者の歌で、あくまでも桜自身には運動の働きの作用を与えず、風の力で好き放題舞っていると詠っている。しかし、これは奇妙ではないか。舞うという動詞の主体は桜であって、風という掴みどころのないものをもっていくことに、貫之の異常なまでのこだわりを感じせざるを得ない。それに対して伊勢はどうか。伊勢の前者の歌は、桜がこちら側に来ればいいのに、と桜にダイナミックな動きを与えていることが明白であろう。まるで、貫之が作った、桜=静というカノンを壊すように。貫之の後者の歌では、桜の花びらを波のように見える、と想像している。貫之は彼のさまざまな和歌の中で想像しているが、それとは真逆に伊勢は徹底したリアリズムを確立させている。伊勢の後者の歌では桜は物との対比で想像されるものではなく、桜をめぐる現場を如実に浮き彫りにさせているものである。

 平安和歌において、貫之は一貫したカノンを確立させた。貫之は桜に運動の方向をけして与えなかった。貫之にとって、運動の方向を持つ花は桜ではなく、梅だったのである。「年をへて 花の鏡となる水は ちりかかるをや くもるといふらむ」。この和歌中の花は、桜ではなく梅である。「ちりかかる」の主体は梅であったのだ。このように、貫之は花といっても、桜には静寂を、梅には動きを与え、その法則をけして破らなかった。貫之は、平安和歌のカノンを確立させたのである。

 また、貫之は、独自の世界観を持って和歌を詠った。貫之は、和歌に想像世界を組み入れたのである。「水の面に 綾織り乱る 春の雨 山の緑を なべて染むらん」。この歌では、川の深いところではなく、水の面のことを詠っており、そこには川の動きがない。その代わり、水底を詠った歌は特徴的である。「ふたつなき 物と思ひしを 水底に 山のはならで いづる月かげ」。「ものごとに 影水底にうつわども 手とせの松ぞ まずは見えける」。「水底に 影を咲して 藤の花 千代の梅とこそ 匂ふなりけり」。このように、貫之は水底を3Dの世界の内在化のように詠った。決定的なのは、「人知れず 越ゆと思ひし
あしひきの 山下水に 影は見えつつ」。この和歌の中で、影を見ているのは貫之本人である。水には室内があり、その水の中の自分を自分が見ているのである。いわば、水の中を見ている自分で、見られている自分が過去の自分かのように。水という物質とつながることによって、想像世界をつくりあげている。これが貫之の最大の特徴であり、また、意識を飛ばして和歌をつくるということがカノンであったのだ。

 それに対して、伊勢はどうか。「春ごとに 流れる河を 花を見て 折らわぬ水に 袖や濡れなむ」。あくまでも、水に何も想起させず、袖に水が触れて濡れるだけだ、とリアリスティックな世界観に徹している。また、その辞世の歌で「手に結ぶ 水に宿れる月影の あるか無きかの 世にこそあれ」と、貫之の歌に対する回答のようなものを詠んでいる。貫之がつくりあげる想像世界は、単なる現実世界の延長にすぎない、と。伊勢の歌はダイナミックで一見中国的ではあるが、それのみではない。上手く日本文化と順応させ、貫之に対抗する実験的な和歌を数多く生み出してきた。貫之が意識と現実を分けたことに対して、伊勢はそれらを分けていない。「立ち逢はぬ 衣着し人もなき ものを何山 姫の布さすらん」。ここでいう人とは、仙人のことである。水平で奥行きをもった和歌の世界をつくりあげ、非常に超越的だといえよう。この和歌は、意識と現実をいったりきたりする貫之にはとうてい詠えないものだと考える。

 以上で見てきたように、伊勢はただの恋愛だけの女流歌人ではない。国際的な感覚を持ちながら、精緻に自己の和歌のスタイルをつくりあげていった歌人である。片桐洋一氏が著書で伊勢の恋愛歌ばかりに囚われるのは、伊勢の評価として不当だといえよう。古今和歌集を見る限り、伊勢は貫之の歌に対抗できるただ一人の女歌人であり、だからこそ、歌集にも彼女の歌がこれほど多く載ったのだろう。貫之が和歌のカノンをつくり、伊勢がそれを崩し、さらに思想を語るような歌をつくる。伊勢の実験的な試みには本当に脱帽する。男性は文化の根幹をつくり、女性がそれに改革を加えてきた歴史は、平安時代から、脈々と日本に受け継がれているのだろう。

 

 昔も、そしてこれからも

あの子は無くなった

小学校1年生のゆりぐみで一緒だったわたくしの親友は、毎日病気と戦っている。
難しい病名を3つももっている。親友は、7年前の夏休みも、入院することになった。
心臓のバイパス手術という,なんだかおどろおどろしい手術が成功して,そして,また,再手術をしたそうだ。
彼女の身体の中は,目には見えなくても,病魔は確実に進行しているんだ。



夏休みに入院するから,どこにも遊びに行けなくてごめんね,と親友は言う。
けれども,わたくしは唯一の親友とどこにも遊びに行かれなくて不幸だなんて思わない。
何故なら,一番苦しいのは,いつも笑っている親友だから。



わたくしは小学生のその頃,医師になりたいって強く思った。研究者もいいかもしれないとも思った。
親友の病気を治してあげたいという気持ちと,親友のように,苦しんでいる人やその家族,大勢の人を救いたいという気持ちがあるから。
 
 
幼稚園から修道女たちが言っている。
 
「人に絶対はないのです。あるとすれば人間には,いつか終着点が訪れるってことだけなのです。イエス様が天にあげられたように,人間もやがて死に葬られ,そして、、、」
 
 
幼稚園から高校までうんざりするほど聞いたことば。
わたくしはそうならば,人間が迎えるその最期まで「電池の充電が切れるまで」の時間を,安らかでより長くより充実したものにしてあげたい……と心からそう思っんだ。



親友は,良く,笑顔で言っていた。「わたくしね,可愛くて高価な花よりも、生まれ故郷にあるような野に咲く小さな花になりたいんだ。何度踏まれたって,蹴られたって,また立ち上がる。そんなたんぽぽのようになりたい。」って。
それは,わたくしが今まで全然気付かなかったことだ。
 
-そうだね。たんぽぽは、踏まれても,蹴られても,くよくよくじけたりしない。また立ち上がる。どこにでもある花なんだよ,けれどもすごい花なんだよ。そして、一生を終えたたんぽぽの花は、たくさんの種を蒔く。-
 
 
今まで,気にも留めなかったものが,どんどん色鮮やかにみえる。
わたくしの世界は、ずいぶん狭かったんだなぁ……と思う。



親友は,しばらくして学校に来なくなった。
電話をして,学校に来られなくて,心臓も痛くて辛くないの。とわたくしが尋ねると,決まっていつもこう答える。
 
 
でも,まだ,生きてる.。
って。
 
 
 
そうだ。いろんなものが色鮮やかに見えるのも,生きているから。
楽しいのも,おもしろいのも,笑っちゃうのも,悲しいことすら,生きているから。
全部,ぜんぶ生きているからなんだ。
生きているから,感じられること。
 
 
今まではずっと不思議だった。
 
親友は,何万人に1人の病気と闘っているのに,どうして笑っていられるのだろう。って。でも、きっとその答えも、生きているからーーだと思った。

 

 

 

 

踏まれたって,蹴られたって,何度だって立ち上がる。

 

 

 

それがわたくしの親友,Yちゃん。

 

何度も何度も思い出す,あの夏のことば。

 

Yちゃん,次に会うときは天国で。

聖ペトロがわたくしに天国の門を開けて下さらなかったら,こっそり合いカギを渡してね。

 

 

マルコによる福音書 4章26-34節 (そのとき、イエスは人々に言われた。)「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された十

 

 

答えが見たかったら生きること

ごきげんよう!デボラと申します。

 

わたくしは中学生のときに富士通のXPを祖母に買ってもらったことがきっかけで,コンピュータを自分だけで使うようになった(小学生のころには父が会社で使っているコンピュータを自宅に持ってきたけれどもインターネットには繋がっていなかった)。

自分のコンピュータを手に入れてからは,htmlでなんとか体裁を整えたサイトの真似事をしたり,丁度サービスが始まったはてなダイアリーを利用して日記を書いたり,とインターネットの世界の大海原に浅く浸かっていたように思う。

気がついたら,あの平成という,わたくしの住む日本が何を生み出したか良くわからない時代をジャンプして令和の世界に移行した。

あのときXPでカタカタと自宅の和室でタイピングをしながら日記を書いていたわたくしは,今,手に収まるiPhoneSE2を使いながら都内某所でこの日記を書いている。

いつでも,どこでも,日記を書くだなんて中学生のころのわたくしには想像だにしなかった未来だと思う。

 

 

今日は,朝起きたとたんに悪寒が走って嫌な予感。
少し,勇み足で過ごしていたことが原因だろう。

そういえば,わたくしはしょっちゅう物を無くすのだが(わたくしの弱点その1),
まさかのオシャレ用のマスクが消えてしまった。
大切なのに。

東急ハンズあたりで買いに行こうかなあ。
そうなると,色々と欲しいものが見つかるだろうな,等考えてしまう。
貯金中なので,自粛している昨今。
蒐集癖で欲求が動かされられるわたしとしては,東京の街の欲望が降り注ぐ空間に出掛けるなんて避けたいところ。


人間は,何か物をなくしたときに「あ,なくしちゃった。」という感覚を覚える。
物をなくしたときにそう感じる心情は当たり前の感覚なのだろうけれど,


本当になくした「何か」はなかなか思い出せない。



ふと,昔のことを思い出した。
ある,3つの絵画に出会ったときのことを。




無限の分割可能性


Raymond Georges Yves Tanguy,Divisibilité indéfinie,1942*1

邦訳 「無限の分割可能性」1942年,イヴ・タンギー

これからわたしはどうなってしまうのだろう。
わたしは、どこへ向かって生きているのだろう。
タンギーの絵を見ると,このような様々な思いが生まれてくる。
これらの思いは,いくら絵を見ても答えが見つからない。
まるで,終わりのない迷路を歩いているように。

タンギーの絵は,一言で言うと,訳の分からない,不思議な絵である。
確かに,本作品では,石のような,しかし人間の顔であるような物体が数多く描かれていて,一つ一つのモチーフを見ると,実に無機的で,とても現実世界とは思えない。
しかし,全体を見てみると,驚くほどに有機的なのである。
まるで,一つ一つのモチーフが生きているように。
それらが落とす影がなんとも不気味ではあるが,その影はゆらりと動き出しそうなくらい力強く,絵の中で存在感を誇っている。
そして,影を動かすような,思わず目をつぶってしまいたくなる。
絵を描くことによって,キャンバスの中の時間を止めているはずなのに,タンギーの絵は,今にも動き出しそうである。

わたしはこの異世界ともいえる絵を見て,現実世界における孤独や悲しみを感じた。
この感覚は,ちょうど中学1年生のときに出会った,次の詩を鑑賞した感覚とにている。
「かなしみ/あの青い空の波の音が聞こえるあたりに/何かとんでもないおとし物を/僕はしてきてしまったらしい/透明な過去の駅で/遺失物係の前に立ったら/僕は余計に悲しくなってしまった」(谷川俊太郎,詩集『二十億光年の孤独』,1988年)。

タンギーの絵も,谷川の詩も,わたしの心に強く訴えてくる何かがある。
恐らく,タンギーの絵に関しては,わたしが小学校低学年くらいのときに出会っていたら,その目の前の作品に対して気持ち悪さしか感じなかっただろう。
きっと,それは精神的に成長したり,社会経験を積まなければ手に入れられない感覚であろうから。

 

わたしが小学校低学年のときは,ただ毎日が楽しかった。
孤独や寂しさ,悲しさを感じることは無いに等しかった。
毎日,人に囲まれて人生を楽しんでいた。
起床すれば両親や祖父母等に挨拶をし,一日が始まった。
本を読んだり,歌を歌ったり,ラジオを聞いたり,散歩をしたりと思い思いに過ごしていた。
わたしは,自分の未来に希望を見出していたし,明日には明るい未来が待っていると信じていた。

 

しかし,そんな生活や考えはいつのまにかに変わってしまった。
決定的だったのは,女子高生の頃,丁度16歳のときにNGOの試験に奨学生として受かった経緯にて短期ホームステイで渡米し,とあるテストで好成績を残したことに起因している(世界ランクレベルの実力であった)。
詳細は割愛するが,契約期間が終わって日本に戻ってきたら,




そこにはわたしの居場所はなかった。




表現すれば身も蓋もないようなことだから,敢えてその理由は書かない。

いつか,表現できる時期がきたら,そのときのために取っておこうと思う。

 

わたしは特に,タンギーの絵の石のようなモチーフに強く惹きつけられる。
これらを見ると,自分は結局,何もなれないのではないか,という思いに駆られてしまう。
この訳のわからない物体が,何もなれない自分と思なってしまうのである。

タンギーはもとは船乗りであったが,キリコの絵を見て触発され,絵描きに転向することになる。




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Giorgio de Chirico,Mistero e melanconia di unastrada,1914*2
邦訳 「街の神秘と憂愁」1942年,ジョルジョ・デ・キリコ

タンギーと同じように,キリコの絵を見ると心の中に様々な思いが駆け巡る。
キリコの作品には,アーチのある建物,影法師など,様々なモチーフであふれている。
アーチのある建物は,キリコの父が鉄道に勤めていたことから多く描かれたのだと言われているようだ。

キリコの作品を見て,不安に駆られる思いをせずにはいられない人はどれくらいいるだろうか。
わたしは,そのうちの一人である。

特に最近,本作品を見たときは衝撃が走った。
何故なら,就学前の画集で鑑賞したときは,なんとも思わなかったのに,
少し前に見たときには心の底から不安が沸き起こってくるからである。
幼い時の無邪気な目は,成長すると人生の本質を考える鋭い目となり,そして……

 

キリコの絵は静かな絵である。
「街の神秘と憂愁」には,人の影があるはずなのに,その影からは全くといっていいほど人の存在を感じさせない。
キリコの絵の中には,動きがない。
まるで,絵の中にある不安が,時を止めてしまったのかのようである。
絵の中には,ただならぬ奇妙さと不安がぐるぐると渦巻いている。
「街の神秘と憂愁」における奇妙さと不安は,消失点を3点にすることによって作り出されているようだ。
そしてその不安は,死への不安へと繋がっていく。

 

わたしは物心ついたときから,死について考えてきた。
それは自殺したいという欲求からではなく,ただ単に,死にたくないと思っていたから。
例えば,病気で死ねば死ぬ直前は痛くて辛くて苦しくて大変な思いをするだろうし,不慮の事故で死ねな,痛さに加えて後悔が残るだろうと考えていた。
それに「善人は天国」い行き,「悪人は地獄」に落ちるということ信じていた。
なんとなく,わたしは地獄に落ちてしまうかもしれない,と恐怖していた時期もあった。
きっと,ほとんどの人が死を厭うのである。
人間は他人の死,とくに肉親の死を見ることによって,自己の死を考えるようになるのだと思う。
死んでしまえば,何も無くなる。
しかし,どんなに死について思考しても,実際に死を経験するときには死んでいるのであるから,
死んだらどうなるのだろうということは誰にも分からない。
それなのに,多くの人間がわたしと同じように死を厭い,恐れるということが不思議でたまらない。
恐らく,生きていく上で親しい人の死を経験したりすることで,死に対する恐怖が植えつけられるのだろう。
死んだら,何もなくなる。
もしかしたら,天国に行けるかもしれないし,地獄に落ちるかもしれない。
ただ,生きていたときに所有していた肉体・精神・財産は存在しない。
無所有の所有が,死への恐れの根源の一つなのかもしれない。

だからこそ,出来るだけ長く生きられるように,現代まで医療は発達したのであろう。
人間という存在は,母体の中で精子卵子が受精した瞬間に「生命」が始まるとともに,死へのカウントダウンが始まってしまう。
人間は生まれたその瞬間から,死ぬことが必然である存在へとなる。
これは,たとえ現代の進歩した科学によってでも変わることはない。
割愛するが,わたしはたとて人間は必ず死ぬ存在であっても,生きる意味は必ずあると考えている。
何故なら,死があるからこそ,人間は今を一生懸命生きられるからである。



File:Mattia Preti - Santa Veronica con il velo.jpg

 



Mattia Preti,Saint Veronica with the Veil,c.1655/60*3

邦訳 「聖ベロニカ」1655年,マッティア・プレーティー

死を思い起こさせる,という点で類似している点で,わたしの心が揺さぶられたのはプレーティーの本作品である。

絵を見る者をじっと見る聖女の絵。
なんだか薄気味悪い色遣いの絵だと感じる。
聖女はただ,無表情でこちらを見ている。
まるで,絵を見る者の心の中を見透かしているようにも思える。
そう考えてみると,なんだか背筋がぞっとする。
聖女は,わたしの何をみているのだろう。
恐らく,聖女ということで,見ているものは人間そのものではなくて,人間の背負っている「罪」なのだろう。
だから聖女に見られるということだけで,わたしはこんなに身の震えるような思いをするのである。
今まで生きてきた中で,罪を犯してきたことを自分自身で認識しているから余計なのだろう。
そして,わたしは罪深いのだから,死んだら地獄に落ちてしまうのではないかと身震いしてしまったのだろう。
そのあまりの揺さぶりに,どうか天国に行かせてくださいと,神に祈りたくなる。
聖女に凝視されることで,自分の死を想像してしまう。
絵の中の聖女が話すならば,きっとこんなことを話すかもしれない。
あなたは罪深いから,死んでも浄化されないわよ,そして地獄行きよ,と。

わたしはプレーティーの絵を見て,ある一つの事実を発見した。
それは,たとえ神の存在を信じない者であっても,自分自身に内なる神を持っているのではないかということである。
わたしは先述したとおり,聖女に見られた時に,どうか天国に行かせてください,と見えない神に祈った。
わたしは神という存在が見えないのにも関わらず,自然に祈るという行為をした。

そういえば,わたしの祖父が,癌で余命数日だという急な知らせを聞いたときにも,無意識に神に祈った。
祖父を生かせてください,と。
結局あの祈りは神に届かなかったのだけれど,今思えば,それは無意識のうちに神の存在を信じたということになる。

 

思えば,人間は,生・老・死などという,自分の力ではいかんともしない出来事に遭遇したときに,神に祈るのだと思う。
わたし自身,生まれるときに母はわたしが五体満足で生まれるように,と祈ったと言っている。
生みの苦しみの中で,老いる苦しみの中で,そして最後の臨終の苦しみの中で祈ることは,古代から続く人間の本当の在り方なのだと思う。
そして,神に祈ることで,その存在を信じていても,信じていなくても,安堵するのだと思う。
「わたし」が祈るということは「神」という第3者が,いっときでも「わたし」に寄り添うのだから。

 

以上でタンギー、キリコそしてプレーティーという3人の画家について,自分の内面と照らし合わせながら考察してみたが,彼らの絵には幾つかの共通点があることがわかった。

 

それは,いくらか精神が成熟していなければ,これらの絵については理解できない,ということだけである。
そして,見えないものを,見えるものを通して表現している点において共通している。
これが本来の芸術の姿といえるだろう。
だからこそ,わたしがそれぞれの絵を見たときには,こんなにも心が動かされたのだ。

特にプレーティーの絵の場合は,聖女の目を通して,神の存在というものを絵を見る者に伝えようとしたということが窺えるだろう。
それに対してキリコやタンギーの絵は,それぞれが人間の暗い部分,つまり,前者は孤独が悲しさ,後者は不安を髣髴とさせる。
これは当たり前のことではあるが,何を表現するのかという点で,3人は異なっている。


タンギー,キリコそしてプレーティーの絵は,人間の無意識に強く訴え,問を発することによってわたしたちを感激させてくれているのだ。
3人の絵は,これからも生きつづけ,後世の人間を深い問へと誘うだろう。



もっとも,広がり続ける宇宙から見たら,人間の限りある一生のうちに浮かんだ問は,大したことではないものかもしれない。

 

もしかしたら,宇宙の根源である神から見たら,人間を取り巻く宇宙のことも,些末な存在なのかもしれない。

 

わたしたちが空を見つめるとき,宇宙や神の存在を想うのと同時に,彼らもわたしたちを見つめているのであろう。

 

相思相愛だったらいいのではあるが,それは,生きている内には決してわかる問題ではないだろう。

いつか最後を迎えるときに渡される,人生を精一杯,力を尽くして生きた人間だけに贈られる答えなのかもしれない。


そしてわたしは,今日も力を尽くし,精神を尽くして自分の人生を歩むのである。



いつか,人生のページが書ききれなくなる,そのときまで。

 

www.musey.net

*1 より画像引用

*2:

【作品解説】ジョルジョ・デ・キリコ「通りの神秘と憂愁」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース

 より画像引用

*3:https://it.wikipedia.org/wiki/File:Mattia_Preti_-_Santa_Veronica_con_il_velo.jpgより画像引用